人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2-1 経絡病証   

2-1経絡病証
引用
十二経脈病証『 霊枢・経脈篇 』
奇経八脈病証『 難経二十九難 』
2-1-1-1
【 手の太陰肺経 】 
1 是動病
肺の脹満・膨満があり喘咳、
缺盆の中が痛む、
甚だしければ両手を交えて苦しむ。
2 所生病 咳、喘、心煩、口渇、胸満、
上肢前面外側の痛み、手掌のほてり。
3 実 証 肩背痛、風寒感冒で自汗、
傷風、小便頻数、あくび。
4 虚 証 肩背痛で寒気を恐れ、
呼吸が浅く切迫し小便の色が変化
2-1-1-2
【 手の陽明大腸経 】 
1 是動病 歯痛、頚部が腫れる
2 所生病 目黄、口の乾き、鼻出血、
咽喉の麻痺、肩前面と上肢の痛み、示指の痛み
3 実 証 本経経脈の走行部位の熱腫
4 虚 証 寒気により戦慄しなかなか温かさが戻らない
2-1-1-3
【 足の陽明胃経 】 
1 是動病
寒くて振るえる、呻る、欠、顔が黒い、
病が至れば人や火を嫌い、木の音を
聞くとびっくりして驚く、心が動かないよう引き篭もる。
甚だしければ
高い所に登って歌いたがり、
衣服を脱ぎ捨てて走りたがる
2 所生病
躁鬱、汗、鼻出血、顔面の麻痺、
頚部の腫れ、咽喉の麻痺、腹水、
膝が腫れ痛む、足背の痛み、
消穀善飢
3 実 証 体の前面が発熱する。
(胃の表現として)消穀善飢、小便色黄
4 虚 証 体の前面が冷え、戦慄する。
(胃の表現として)脹満
2-1-1-4
【 足の太陰脾経 】 
1 是動病
舌が強ばり、物を食べると吐く、
胃.部痛、腹脹、げっぷ、
おならやげっぷで楽になる
、体が衰え、体が重い
2 所生病
舌が痛む、体を動かすことができない、
食滞、心煩、心下急痛、泄瀉、尿
閉、黄疸、下肢内側の腫れ痛み、
足第1 指の麻痺
※ 実証・虚証の記載無し
2-1-1-5
【 手の少陰心経 】 
1 是動病 咽喉が乾く、心部が痛む、
口渇し飲み物を飲みたがる
2 所生病 目黄、脇痛、
上肢前面内側の痛み、
手掌のほてりと痛み
※ 実証・虚証の記載無し
2-1-1-6
【 手の太陽小腸経 】 
1 是動病
咽喉の痛み、顎の腫れ、振り返れない、
肩が抜けるように痛み、腕が折れ
るように痛む
2 所生病 耳聾、目黄、頬の腫れ、
頚・顎・肩・上肢後面内側の痛み
※ 実証・虚証の記載無し
2-1-1-7
【 足の太陽膀胱経 】 
1 是動病
頭・目・項部が抜けるように痛む、
脊柱が痛み、腰が折れるように痛む、
股関節は曲がらず、
膝関節は結ばれるようで
脛は裂かれるようである
2 所生病
痔・おこり・精神異常、頭頂部の痛み、
目黄、涙、鼻出血、項・背・腰・
尻・膝・脛・足の痛み。
足の第5 指の麻痺
※ 実証・虚証の記載無し
2-1-1-8
【 足の少陰腎経 】 
1 是動病
知飢不食、顔色が黒い、気喘、喀血、立ちくらみ、
気が足りなければ物事
に恐れる
2 所生病
口が熱し、舌が乾き、咽喉が腫れる、
心煩、心痛、黄疸、腰部・大腿内側
の痛み、冷え、しびれ、横になるのを好む、
足底のほてり
※ 実証・虚証の記載無し
2-1-1-9
【 手の厥陰心包経 】 
1 是動病
手掌が熱する、上肢がひきつる、
腋が腫れる、
甚だしければ胸脇がつかえ
る、心悸、面紅、目黄、笑い続ける
2 所生病 心煩、心痛、掌のほてり
※ 実証・虚証の記載無し
2-1-1-10
【 手の少陽三焦経 】 
1 是動病 耳鳴り、咽喉の腫れと麻痺
2 所生病 汗、目尻の痛み、頬の痛み、
耳後・肩・上肢の外側が痛む
、第4 指の痛み
※ 実証・虚証の記載無し
2-1-1-11
【 足の少陽胆経 】 
1 是動病
口苦、溜め息が多い、心脇部痛、
寝返りができない、顔色がくすみ、皮膚
に光沢がない、足が外反し熱する
2 所生病
頭痛、顎の痛み、目尻の痛み、
缺盆の腫れ・痛み、腋下の腫れ、汗、寒く
て振るえる、おこり、
下肢外側の痛み、
足の第4 指の麻痺
※ 実証・虚証の記載無し
2-1-1-12
【 足の厥陰肝経 】 
1 是動病
腰痛で仰臥・伏臥できない、
男性は疝気、女性は小腹が腫れる、
甚だしければ咽喉が乾き
顔色がすすけて青黒くなる
2 所生病 胸満、嘔吐、泄瀉、疝気、遺尿、尿閉
※ 実証・虚証の記載無し
2-1-2
. 奇経八脈病証 :『 難経二十九難 』
奇 経 病 症
① 督 脈 脊柱のこわばり、
頭・足・下腹部から胸・心臓の痛み、
痔、水腫、遺尿、不妊(女)
② 任 脈 疝気、帯下、月経異常、
腹部皮膚の痛み、かゆみ
③ 衝 脈 逆気して泄
(逆気:悪心嘔吐・めまい・頭痛/泄:下痢)
④ 帯 脈 腹がはり、
腰は(水中に座っているように)冷える、
フワフワ座りが悪い
⑤ 陽.脈 陰が緩んで陽がひきつる、
目が痛む (下肢内側・前半身の緩み、
後半身のひきつり)
⑥ 陰.脈 陽が緩んで陰が引きつる
(下肢外側・後半身の緩み、前半身の引きつり)
⑦ 陽維脈 寒熱に苦しむ
⑧ 陰維脈 心臓部痛に苦しむ

# by w74108520 | 2011-01-18 19:37 | 東洋医学概論

不言の教え 矛盾の自己同一   

老子 道徳経 第2章 

天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。
故有無相生。難易相成。長短相較。高下相傾。音聲相和。前後相隨。
是以聖人。處無爲之事。行不言之教。
萬物作焉而不辭。生而不有。爲而不恃。功成而不居。
夫唯不居。是以不去。

天下みな美の美たるを知るも、斯れ悪のみ。みな善の善を知るも、斯れ不善のみ。
故(まこと)に有と無と相い生じ、難と易と相成り、長と短と相い形(あら)われ、高と下と相い傾き、音と声と相和し、前と後と相い随う。
是を以って聖人は、無為の事に処り、不言の教えを行なう。
万物焉(ここ)に作(おこ)るも、而も辞(ことば)せず、為すも而も恃まず。功成る而も居らず。夫れ唯だ居らず、是を以って去らず。

美があまねく美として認められると、そこに醜さがでてくる。
善があまねく善として認められると、そこに不善がでてくる。
だから、有と無はたがいに生まれ、難と易はたがいに補いあい、長と短はたがいにそれぞれの位置をしめ、高と低はたがいに矛盾し、声と音はたがいに調和しあい、前と後はたがいに順序をもつ。
だから、賢者は干渉しないでものごとを扱い、言葉のない教えをする。
万物は間断なく盛大である。
成長していっても、誰れもそれを所有しない。
仕事が成しとげられても、それに頼るものはいない。
達成されても、名声を求めるものはいない。
名声を求めないから、成功はつねにそこにある。

 

# by w74108520 | 2011-01-10 21:20 | 禅語

安心を得る   

莫妄想(まくもうぞう)

中国唐時代の禅僧
無業禅師(760~821)の言葉。

 「無業(むごう)の一生、莫妄想」といわれるように、
無業和尚(760~821)は一生涯、誰が何を尋ねても、
「莫妄想」で押し通したと
いわれています。

「妄想無き時、一心(いっしん)是れ一仏国(いちぶつこく)」。
すなわち、妄想を断ち切ってしまえば、
それがそのまま悟りの心境です。
「莫(まく)」とは、なかれ(・・・)のことで、
禁止の意味を表わします。
「妄想(もうぞう)」とは、
一般的には実体のない虚妄(こもう)の想念(そうねん)のことで、
色気、食い気、欲気などの邪念、空想、迷心を意味しますが
、もう少し深く考えます。

 私たちは、常に、生死、善悪、是非、勝敗など、
二つの相対する概念を作り出し、
その一方に執して苦しみ、迷うのですが、
この二つに分けて見る相対的な分別心そのものが
、すでに妄想というのです。
故に莫妄想とは、
生死、善悪、是非に
なり切ってやって行け! 
というわけです。

“莫(な)かれ”という消極的な言葉に反して、
より積極的に、
生死、是非、善悪、勝敗などに
こだわることなく、
全身全霊を挙して
一心不乱にやり貫けというのです。

# by w74108520 | 2011-01-10 19:14 | 禅語

真の自分を取り戻す   

放下著 (ほうけじゃく)    

厳陽尊者 趙州に問う
 「一物不将来 (ふしょうらい) の時如何」
趙州答えて曰く
 「放下著」
厳陽問う
 「已に是れ一物不将来、這の什麼をか放下せん」
趙州答えて曰く
 「恁麼ならば即ち担取し去れ」

厳陽尊が質問します
 「何もかも捨て去って
一物持っておりませんが、
そんな時如何致しましょう」
趙州答えて仰るには
 「投げ捨ててしまえ」
厳陽が質問します
 「すでに何も持っていないのに、
何を捨て去れと言われるのですか」
趙州答えて仰るには
 「それなら、担いでいきなさい」


 趙州和尚は
何も無いという事に執着(しゅうじゃく)して
囚われることがいけない
と言われたのです。
 人生は毎日が苦労の連続です。
こうした悩みを切り抜けるためには、
確固とした意志と決断力で
悪循環を断ち切ることが
大切になるのです。

二元の相対する思いを
放下することで
気が楽になり、
清らかな真の自分を取り戻すことが
できるわけです。

従容録第五十七則

# by w74108520 | 2011-01-10 18:33 | 禅語

庭前柏樹子   

趙州因僧問。如何是祖師西來意。州云。庭前柏樹子。
無門曰。若向趙州答處。見得親切。前無釋迦。後無彌勒。頌曰。言無展事。語不投機。承言者喪。滯句者迷。

趙州、ちなみに僧問う、如何なるか是れ祖師西来の意。
州云く、庭前の柏樹子。
無門云く、若し趙州の答処に向かって見得して親切ならば、前に釈迦無く後へに弥勒無し。
頌に云く、言、事を展ぶること無く、語、機に投ぜず。言を承くるものは喪し、句に滞るものは迷う。

「達磨は、なぜわが国に来たのですか。」
趙州は僧が「始祖達磨大師がインドから中国に来て伝えようとした心とは何か」
 と尋ねたので、「庭先の 柏の樹だ」 と答えた。

無門は評して言う
 もし趙州の答えたところを、ぴたりと見て取ることが出来たらなら、過古仏の釈迦も未来仏の弥勒もないだろう。ただ今、此処、自己の独尊仏だけだ」。

無門は頌つて言う
言葉は機敏にふれてこない。
言葉をそのまま受け取る者は原事実を失い、語句に執われる者は迷う。


「無門関」第三十七則

# by w74108520 | 2011-01-07 20:51 | 禅語